エンジニア&スタッフインタビュー9

T.O.さんは、パートナー入社がきっかけとなって営業の仕事が自分の性に合っていると気づいたと言います。トラブル処理が嫌いで、取り繕うのも苦手だからこそ、表裏なく「正直営業」を実践する。現在、営業責任者の立場から、その性格をドライブとし、お客様、エンジニア双方と関係を構築しているそうです。日々の営業活動を、いったいどのように取り組んでいるのか、詳しいお話を伺いました。

SI事業本部 東日本事業部 部長 T.O.さんSI事業本部 東日本事業部 部長 T.O.さんSI事業本部 東日本事業部 部長 T.O.さん

1978年3月、埼玉県生まれ。小中高から大学まで神奈川県で過ごす。大学は工学部土木工学科。卒業後、いくつかの職業を経て、2007年、パートナーにエンジニアとして入社。その後、営業部門へと異動。現在はSI事業本部東日本事業部の部長として、営業部門を統括する立場にある。結婚して、子供が一人。趣味は、学生時代からのめり込んでいる麻雀。腕前はセミプロ級。

01.雀荘バイトからの転身

「就職氷河期」真っ只中からのスタート

雀荘バイトからの転身
―― 最初に、T.O.さんの経歴を聞かせていただけますか。

1978年3月生まれで、現在44歳。生まれは埼玉県でしたが、育ったのは神奈川県。小中高から大学まで、神奈川県内にある学校に通いました。高校は地元の県立高校で、大学は湘南にキャンパスがある大学の工学部土木工学科に進学しました。

理系だからといって、特にパソコンやITに興味があったわけではなく、何か高い志を持って大学に進学したわけではありません。やりたいことや趣味が高じた得意なことも、さほどありませんでした。それでも一応、4年で大学を卒業することはできました。

問題は就職。卒業が2000年3月で、当時はバブル崩壊後の「就職氷河期」と呼ばれた時代。手当たり次第、企業を当たって、何とか地元にあるプリント基板を造る会社に入社しました。正直、入社できればどこでも構わない、といった感じでしたね。

ここでの仕事は現場作業。とりあえず入った会社だったこともあり、ここで出世しようという気持ちは薄かったです。また、職場の人間は多種多様で外国人労働者もいました。24時間、365日休みなく稼働する工場でしたから、作業服を着て夜勤と日勤を交互にこなしていました。

―― バブル期は、大学を出ていれば2人に1人が上場企業に入ることができたわけですから、確かに大変な時代でしたね。

社会に出た以上、働かなくてはなりません。結局、この会社では4年間勤めることに。厳しい職場環境でしたが、その点は気になりませんでした。辞めた理由は、いきなり一律で給与が下がったこと。自分の働き方に問題があったわけでないのに、「なぜ?」と疑問に感じたからです。

―― その後、どのように過ごされたのですか。

仕事を辞めた後、気分転換を図ろうと1か月間、車で西日本を回るバックパッカー(低予算の個人旅行)を敢行しました。経路としては、まず地元の神奈川を出発し、長野を経由して日本海に出ました。石川・福井を経て、滋賀・京都に回り、瀬戸内海に出た後、九州へと渡りました。友人のいた九州では、熊本・大分に長く滞在しました。帰りは日本海側を通り、京都・滋賀を経由し、愛知・静岡に下って、神奈川へ帰ってきました。

こんな放蕩生活を送って所持金を使い果たし、行きつけの雀荘でアルバイトをさせてもらうことになりました。始めて半年ほど経った頃、常連客で遊戯店を経営する方から、神奈川県内に出店しているので働かないかと誘われ、伊勢原市にある店舗に移りました。正社員としての採用でしたので、アルバイトのシフト管理、ホールの見回り、閉店後の売上金集計、イベントのポップ・チラシ作成など諸々の実務を担当し、1年半ほど働きました。

しかし、さすがに年齢的に30歳近くとなり、将来の生活に不安を覚えるようになりました。とにかく落ち着いて就職活動をしなければと、両親に頭を下げ、実家に帰ることにしました。

まずは転職フェアへと参加。出展していたパートナーのブースに入ったのが就職のきっかけです。入社は2007年4月でした。

02.転機となった営業担当との出会い

リーマン・ショックを経験、
エンジニアとして感じた限界

転機となった営業担当との出会い

―― パートナーに入社した理由は何ですか。

当時、自分の中で特にやりたいことがあったわけではありません。しかし、仕事をしなければ生活できない。「とにかく仕事に就く!」のが最大、かつ当面の目標でした。未経験でしたけど、理系出身だったので、エンジニアとして採用してもらえました。

入社時期は新卒社員たちと一緒。この年は合計32人を採用していました。4月1日の入社日を前に、3月1日から研修がスタート。同期の中途入社者では私が最年長でした。

―― 未経験から新人研修ではどのような教育を受けたのですか。

研修は2か月間。エンジニアとして入社したので、まずはJavaでの開発ノウハウなど、新人として不可欠な基本知識を本社に招かれた外部講師から徹底的に学びました。

―― そして5月から、現場へと配属ですね。

配属先は独立系のソフトウエア開発会社で、しっかりとした体制が整っていました。エンジニアを管理する部長クラスの社員が現場にいて、本社での業務を掛け持ちしていました。その下にリーダーが2人、さらにサブリーダーが3人、そして部下として私を含めた新人エンジニアが3人配属されました。

きちんとした組織体制だっただけに、業務管理も非常に厳しかった。今、振り返ると当然かもしれませんが、エンジニアになりたての私としてはハードルが高かったです。自分自身のタスク見積もりを作成し、日々、日報と進捗率を提出。遅れた場合は、その理由とリカバリー案を作成。その他、関連業務…。これまで経験した仕事の内容、進め方とは雲泥の差がありましたね。

痛感したのは、自分自身、ITエンジニアとしての能力が全く足りないということ。できないこと、欠点をさらけ出すことを恥とは思わないタイプですが、力不足を思い知りました。

ただ、辞める気はありませんでしたね。何より、パートナーという会社が好きでしたから。その後も、当時のサブリーダーの方たちと一緒に次の現場に異動しました。そして翌年の2008年、リーマン・ショックが発生します。

―― この時は、日本経済が大幅な景気後退に陥ることとなりました。

私の仕事人生の中でも、大きな転機となりました。リーマン・ショック後は大きく仕事が減り、本社に待機となりました。どこの企業でも解雇に近い形で退職せざるを得ないケースが少なくありませんでしたが、御多分に洩れず、私もその候補の一人に入っていました。

そんな時、営業担当者が頑張って次の現場を決めてくれました。おかげで何とか配属され、仕事を続けられたんです。わずか数か月の職場で、終わったら、また3か月待機になりましたが、次に縁あって最初の配属先である独立系のソフトウエア開発会社に再び戻ることになりました。これも、その営業担当者が陰で頑張ってくれたからに他なりません。この担当者が私の特性をよく理解してくれ、その後も一緒に仕事をすることとなりました。

―― この出会いがなかったら、今のT.O.さんはなかったと。

本当にそう思います。そして、この時初めて、パートナーの他の社員と一緒ではなく、私一人が現場に就きました。自分の下には、協力会社からのメンバーが入る体制だったのです。会社として、さまざまな思惑があっての配属だったのでしょうが、初めての経験で大変ながらも本当に良い勉強となりました。

実はこれがエンジニアとしての最後の現場。残業が多く、多忙な環境でも、労働時間の長さはそれほど苦痛には思いませんでした。むしろ楽しかった思い出が多々あります。

この現場では、同じプロジェクトで取り組む他の会社の人たちに、「よくわからないので教えてください」と自分なりにコミュニケーションを工夫し、協力しながら業務を進めることができました。終了時には、いろいろな人たちと協同作業をし、そこで得られる達成感に喜びがわいてきたものです。この時から人と人との関わりが、仕事で非常に大事だと感じるようになりました。

03.エンジニアともコミュニケーションを

あらゆる機会から
「最適解」を見つける

エンジニアともコミュニケーションを

―― それまでは、言われることだけをやるスタイルだったのが、一人で現場に放り込まれたことによって、他者との関係性を強く意識するようになった。協力会社のメンバーが自分の下にいるため、自発的に動かざるをえなかったと?

プロジェクトが終わったのが翌年2月頃。その後も待機となりました。すると、営業担当者から「ところで、営業をやらないか?」と提案されたのです。もともと人とのコミュニケーションが苦手なタイプだったのですが、エンジニアとしての能力には限界を感じていたこともあり、これは良い機会だと前向きに捉えてみました。「やります!」と即答し、今度は営業担当としての第一歩を踏み出すことになりました。

年齢も30歳近くでしたから、この年代だと一人で活躍している人も少なくありません。「果たして自分は、このままで大丈夫なのかな?」という焦りがあったと思います。

―― 初めての営業を担当してみて、どのようなことに苦労されましたか。

トラブル対応には苦労しましたね。まず対処の仕方がよくわかりませんでした。なので、メインの仕事は新規のお客様とアポイントメントを取り、話をして、仲良くなって関係を構築するレベルの繰り返し。営業担当として成長を実感するまでには至りませんでした。

そうした中で突如、大きな転機が訪れます。当時のパートナーの営業には私がお世話になった担当者と、もう一人優秀な女性がいました。担当のお客様数、エンジニア数がずば抜けて多い2人でしたが、何と、どちらも前後して辞めることに。私は営業担当になったばかりで、受け持つ予算が少なかったのですが、それらを一気に引き継ぐことになったのです。

それは売上の数字だけではなく、さまざまな人間関係や、場合によってはトラブルも引き継ぐことになります。普通では、こういう機会はありません。まさに一気にキャリアステージが上がり、大変な半面、恵まれていたと思います。営業として相応の数字を持つことになり、否応なく会社の屋台骨を背負う自覚が芽生えてきました。

ただ、当時の営業部門は既存のお客様以外に、新規顧客獲得が評価されるシステム。自分はその点ではまだまだでした。他の営業担当者が相応の新規顧客を獲得したのを、すごいなといつも思っていました。

―― そのような状況下で、意識していたことは何ですか。

実は、特に心掛けたことはありません。営業は数字をつくることが仕事。そのために何をするか、あえて意識せず、自然体でやっていく。そのうちに数字が付いてくるようになりました。しいていえば、数を打てばそれなりに当たる、ということでしょうか。

例えば、この業界では名刺交換会がよく開催されます。その機会を見つけて積極的に参加し、直接会って、情報交換をするようにしました。他にはITエンジニアを募集している企業のリストを入手し、直接電話をかけて営業する。とにかく、あらゆるチャンスで名刺や連絡先を入手し、アポイントをとる。新規顧客を獲得するため、そういうアプローチをずっとやっていました。

当然ですが、営業になりたての頃は、先輩社員の方が良いお客様や案件を持っています。だから、条件面で決まりにくかったり、先輩方がコンタクトしないようなエンジニアに案件を持ってくることに注力しました。自身が抱えているお客様から案件を聞いて、この人なら、と感じたエンジニアを意識的に回すようにしたのです。それは結果としてエンジニアの待機を減らし、会社の売上や利益にもつながります。

また、自分が関わっている顧客で条件が合わなくても、先輩社員の抱えているプロジェクトに当てはまるエンジニアが結構いるのです。そうした「全体最適な解」を見出して、エンジニアを回していくやり方を実践していきました。

―― 人材マッチングの観点からすると、まさに「王道」ですね。

人材要件と顧客のニーズが合致する、両者がWin-Winとなる関係を構築するわけですから、そうかもしれませんね。お客様とのコミュニケーションはもちろん大切ですが、トラブルを回避する意味でも、営業はエンジニアとしっかり向き合わなくてはいけません。

その観点から、エンジニアに対する定期的なヒアリングを心がけています。日頃からエンジニアと食事をしたり、飲みに行く時間は大切にしていますね。営業のベテランとなった今でも、後輩には、このことをよくアドバイスしています。

―― もともと、人とコミュニケーションを取るのは苦手だと仰っていましたが、どうして心変わりしたのでしょうか。

営業は、自ら伝えていかないと仕事になりません。常にコミュニケーションが必要な状況に迫られています。「人は会話をしていく中で気持ちが通じ、信頼関係が醸成されていく」と言われますが、私自身も、そういった人と人との強い関係性が残っていた時代に育ちました。こうした背景も多分にあると思います。

もっとも、若い世代だと必ずしも同じようにはいきません。要点をまとめて、話す時間を短縮してほしいと考えるタイプもいますから、コミュニケーションスタイルも変わっていかざるを得ないでしょう。

―― T.O.さんは、相手から要望されたことに対して、何とか応えようとするタイプですね。

どうでしょう? ギリギリまで目を背けて放置し、やらなければならなくなったら動くタイプでしょうか(笑)。例えば、「この件はもういいや。他の人に頼もう」と相手が諦めてくれるケースもあります。すぐに安請け合いしないで、少し静観して様子をみてみるのが、本当に必要なのかどうか見極めるフィルターとなることもあります。

会議や話し合いでも、いろいろと意見を聞くことは大事ですが、物事の本質や意義を見失ってはいけません。その意味で、「これは違う。やりたくないな」という自分なりの感覚は大事にしています。ありのままに「正直」になることが大切なのかなと。

04.「正直営業」が何より一番!

嘘をつかないことが、
信頼感・安心感を醸成する

「正直営業」が何より一番!

―― 営業の仕事をしていく中で、面白いと感じたり、やって良かったと思う瞬間は、どういう時ですか。

スキルがまだ低く、案件に当てはまりにくいエンジニアの配属を決められた時は、本当に嬉しいです。それから、「バイネーム」で依頼がかかってくる時ですね。この業界では案件の案内などを、たくさんの同業者にメールのBCCで依頼をかけるのが一般的。でも時々、「T.O.さん、こういう人いますか?」と個別で連絡が来ます。それは心の底から「ありがたいな」と思います。

だからといって、何かを取り繕う必要はありません。当てはまる人材がいないならいないで、「すみません。今、いないですね」と素直に答える。このような本音の対応を、よく理解してくれるお客様がいます。長く仕事が続いているお客様とは、そういったある種の信頼関係ができています。

―― きっと、「今はいないけれど、当てはまるエンジニアがいたら、すぐに連絡をもらえる」という信頼感・安心感が、お客様にはあるのでしょうね。

私を「裏表がない人間」と知ってもらえているからこそ、「今、本当にいないのか。だったら、次のタイミングで連絡をしよう」と思ってくれる。その関係性を、とても嬉しく感じます。

法人営業では、スキルの不十分なエンジニアや、何かしら条件が付くエンジニアを、担当者としては案内しなくてはなりません。その際、マイナスになる情報を伝えない営業担当者がいます。私の場合は、あえて伝えます。全てを正直に話した上で、お客様と「これは、どうでしょうか」「こうしてみましょうか」などと話を詰め、対応策を考えていきます。

―― ドラマにもなった「正直不動産」みたいですね!

そのドラマは観ていませんが、自分はそのスタンスです。事実を隠して、売ることはしませんから。もっとも「常に正直であれ」と意識して、営業活動をしているわけではありません。「隠すのが性に合わない」だけ。「嘘」は、必ずどこかでボロが出ます。それより、最初から正直に話をしたほうが結果的にいい、と思っているだけです。

05.営業職に向いているタイプは?

人が集まる「場」に、
「足」を運ぶことが苦にならない人

営業職に向いているタイプは?

―― コロナ禍で、仕事の進め方に影響はありましたか。

特にありません。コロナ禍だからといって、自分自身が必要以上に変えたところはないんです。周囲や状況の変化に合わせた動きをしている、というのが実際のところですね。テレワークをしたのは2回だけ。もちろん、他の営業メンバーにはテレワークをしてもらっていますよ。ただ、営業という仕事の性格上、本来はフェイスtoフェイスが一番だと考えています。

―― これから営業職として入社を希望する人たちに向け、アドバイスをお願いします。

この業界は、ビジネスパートナーを含め、協業する分野が大きい。実際、他社のエンジニアに自社のプロジェクトへ参画してもらう機会も多々あります。関東エリアだけでも相当数の企業がありますから、お客様に対する営業だけではなく、同業他社や関連会社との相互の情報交換も欠かせません。情報交換であれば、食事や飲み会などの形を設ければ、比較的気軽に会うことができます。このような「場」を好む人、そうした「場」に「足」を運ぶことができる人、苦にならない人には向いているでしょう。

ただ、Web会議やメールなどオンラインでの情報交換が一段と進んできた現在、これからの若い人には、今とは違った様相になるかもしれません。とはいえ、営業は年齢に関係なく、さまざまな人たちと出会う機会の多い仕事。「人と接点を持つ」ことが、楽しいと思えるタイプが向いている仕事だと言えます。

―― パートナーの現状について思うことはありますか。

パートナーは、まだ組織として成熟していません。社員がポジションを上がっていくチャンスが、大きく広がっている会社と言えます。何より、上司に対して進言しやすい職場ですし、実際、社長にも直接、話ができます。上下の人間関係のしがらみがありません。

エンジニアとの関係もそうです。東京には約150人のエンジニアがいますが、私も彼らから「これ、何とかならないですか」「ちゃんと、やってくださいよ」などと、ストレートにリクエストや注文を受けます。もともとエンジニアとして入社した私の実感からしても、営業に対してモノが言いやすい会社であることは間違いありません。

―― 良い職場風土がつくられているわけですね。今後ますますのご活躍を期待しています。

パートナーはまだまだ伸びていく会社であることは間違いありません。そのためにも、日々の業務とともに、営業組織としての「土台」をしっかりと作る。このことを、営業責任者として取り組んでいきたいと考えています。面白そうだと思う人は、ぜひ私たちと一緒に営業してほしいですね。

インタビューを終えて

●営業担当者が、「エンジニア・ファースト」を心掛けることの大切さ●

営業担当者にとって最も大切な感覚。それは、業績が上がって良かったという感覚ではありません。エンジニアに仕事が決まって良かった、仕事を見つけることができて良かった、という感覚です。さまざまな職場や人間関係を経験してきたT.O.さんは、パートナーの最大の商品価値であるエンジニアを、とても大切にしています。まさにパートナーの掲げている、「エンジニア・ファースト」です。

そうした「エンジニア・ファースト」があるからこそ、お客様の置かれた状況(ニーズ)に対し、最適の対応を示すことができるわけです。そして、この「エンジニア・ファースト」のスタンスが、さまざまな場面で広がっていくことが、パートナーのさらなる成長へとつながっていくことでしょう。

だからこそ、日頃から正直に言うことが大事なのです。その積み重ねが、お客様との信頼関係につながります。結果的に、そのことがより良い営業の成果に結び付くことになっていく。T.O.さんの話を伺って、そのことを確信しました。

福田敦之
人材マネジメント分野を中心に、ライターとして取材活動を行いながら、人事・教育関連の主要専門誌やWebサイトへと執筆。他方、ベンチャー企業 に対する人事・教育コンサルティング、人事制度設計・導入、大学等での講師を歴任している。